怖さ
怖さは、自分の内側からやって来るもの。
嬉しいさも、悲しさも、楽しさも…。
それは、全て自分の内側からやって来るもの。
進む道
人生って、選択の繰り返しなのだなぁ。
断る、続ける
行く、行かない
進む、立ち止まる
進むめば、10年後の自分はどうなっているのだろう。立ち止まったら、そのままの自分で10年を過ごすのだ。
どっちを選ぶかも、自分次第。
母と娘
何年も連絡を取り合わなかった実母と、数年間ぶりに会うことになった。
会わない間、私の勝手な想像で「連絡もしないダメな娘」「年おいてきた母を見捨てている自分」と私が私を非難していた。
母が心配だったのに、目を背けていたわけだ…。心は、何時も自分を責めていたのに。気が付かないふりをして、母の事を気にかけていた。
実際、顔を合わせると
何事もなかったかのように、時間が動き始めた。今までの私の気持ちは、どこに行ったのだろうと言うくらい。会わなかった時間は、お互いを素直にさせたのだろう。自然と「ありがとう」「ごめんなさい」を伝えあっていた。
数年という長い時間が必要だったのかもしれない。母と娘の関係が「人と人」に代わるタイミング。
私達は、親子だけど「別々の人格の持ち主同士」
アウトプット
学びは深まるほど、アウトプットが必要だと感じる。
地層のように知識は深まるのだが、巻き混ぜないと
硬くなる。硬くなった知識は、押し込まれてぎゅうぎゅうとなる。解すのが大変。
アウトプット、大事。
本日のひと言
☆現実は、自分一人だけのもの。←解釈や価値は各々のものであり、誰一人として同じものはない。
見えている世界は、その人だけのものである。
今朝
朝、目覚めてフッと思った。
「生きているだけで、幸せだ」って。
伝えられぬ想い
○○さん。ご無沙汰しております。
Facebookの投稿読んだら、メッセージせずにいられなくて…
あの日の出来事を、軽々しく言葉に出来ない自分がいます。なぜなら、各々に状況が違い過ぎるから。受け止める出来事の大きさが違うから。「共感」なんて言葉ではくくれない気持ちがあるから。
あの日から、同じように月日が経ちました。時間は平等ですが、あの日からの経過は、決して平等ではありません。
ただただ思います。各々の人生のストーリーに、他者は祈ることしか出来ない事を。どうかどうか、各々に「あの日、3月11日」を、「今年の3月11日」「来年の3月11日」「続く3月11日」を各々の想いで繋ぐ事ができますよう…ただただお祈り申し上げます。
何時か…お母様の気持ちが安らぐ時が訪れますように。そして、○○さんを含む、ご家族の皆さまの想いが…何時か…本当に何時か…果てし無い時を越えた誰かの想いに寄り添えますように。
まだ見ぬ未来の誰かの為に、過去からの想いと共に。今を生きている私達の出来ること。
「あの日を忘れない」
経験した者にしか解らない気持ち。しかし、決して自分を責めずに。なぜなら、誰一人、落ち度は無いのだから。あの日の私達は、地球の一部だった。
嫌な奴
世の中、善人だけじゃないよね。
本当に、嫌な奴っていると思う。
じゃあ、何で嫌な奴なのかっていうと
そいつが自分に「自信」がないから。
自分よりも相手を低くして、
「自分自身を保つ」
自分よりも立場の弱い人間に、
「自分の価値を押し付ける」
自分の事が、大好きで、
「自分に自信」がある人は、
「他者」にも「自分」にも
優しく、時に厳しく出来ると
思うのだ。